『切支丹伴天連とその働き』 三井田宅集会 2001年1月30日
持田行人
1、キリシタンとはなにか
吉利支丹とも書いた。AD16世紀 日本に伝来したローマ・カソリック教会のキリスト教。
その頃の世界史概略
1464年6月 ピオU世死去、十字軍最後の企ても崩壊
1469年 アラゴンの相続人フェルディナンド、カステーリィヤの相続人イサベラが結婚。イスパニア統合。
1492年スペイン半島でのムーア人、最後の拠点グラナダを攻略。異教徒の居ないスペインを回復。この年、コロンブス新大陸に到着(地理上の大発見)。香辛料を求めてインドを、また黄金の国といわれた幻の国ジパングを求めて大航海時代たけなわ。
更に同じ年、スペイン東部の小貴族ロドリーゴ・ボルジアは、伯父である法王カリスト三世の後継法王となり、アレッサンドロY世(チェーザレ、ルクレティアの父)誕生。
1498年ヴァスコ・ダ・ガマ、インド航路を発見。
1498年5月23日 ドメニコ会士シルヴェストロ・サヴォナローナ、フィレンツエで絞首刑後火刑にされる。
1503年――13年 法王ユリウスV世となる。
1513年――21年 法王レオ十世となる。(フィレンツエのメディチ家)
1516年 フェルディナンドの死によりスペイン、オーストリア、ネーデルランドの相続人カールX世となる。
1517年 マルティン・ルッター、宗教改革を起こす。ヴィッテンブルク城教会に95条の論題を掲げる。グーテンベルグ、新印刷術発明。
1519年 カルロス ドイツ皇帝カールX世に即位。
1523年――34年 法王クレメンス七世(政治的野心家)。
1534年――49年 法王パウルスV世
1540年 イグナティウス・ロヨラ、フランシスコ・ザビエル等イエズス会設立。対抗改革(ローマ教会内部の改革刷新運動)。新発見地への宣教を志す。
1542年 東洋伝道(インド、中国、日本)始まる。
1549年 ザビエル日本伝道開始。この頃、種子島にポルトガル人漂着。火縄銃伝来(1543年)。種子島は、日本の世界への窓口となる。日本人の視野は広まり、本朝、唐、天竺から世界へと広がる。ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスの船が来航。
彼らの求めは、三つのGに分ける事が出来る。富Gold、栄光Glory、福音Gospel。
船乗りとして、極東までくる事も栄光。ザビエルたちにとっては、地の果てまで宣教に来た事と、福音を伝え得る事もまた栄光であった。
メルカルトはジパングが実在の島と知り、1569年世界図に JAPAN の名を記入。
「日本史」9巻319ページに拠れば、教名コンスタンチノの働きにより、尾張の地・花正において10ないし12年で、600人を超えるキリシタンが居るようになった、という。その他多くの例があげられている。しかも、やがて彼らは隠れキリシタンとして潜伏し、300年後に現れる。何がそうさせたのか考えてみたい。
1、宗教界の堕落
2、読み書きが普及していた
3、仏教の教説の不安定さ
4、生命の不安と死後の世界
ザビエルは、島津家の菩提寺福昌寺第15代住職ニンジツ(忍室)となり、隠居して東堂と親しくなる。ザビエルは、「人の肉体は土と化しても、魂は永久に生きる。もし現世でどれほどの権力と財宝を手にしても、魂を失ったらどうするのだ」と語る。 1547年12月、ザビエルが薩摩人アンジロと出会った時、アンジロは「まず日本人は神父に多くの質問を出すだろう。そして神父の返答と知識とを確かめ、更に神父の生活が、その教えるところと一致するかどうかを見る。このような試験期が半年も続いたら、国王やその他の諸大名をはじめ、理性的な者が洗礼を受けるであろう。日本人は理性に従う国民だから。」と言う。
1549年8月15日、鹿児島湾に錨を下ろす。当時領主は島津貴久は35歳。博多、山口、平戸へ伝道する。その途次にも回心者を得る。
山口の大内義隆には、多くの贈り物をする。返礼として差し出された夥しい金銀財宝をことごとく返上する。「財貨を得るためにきたるにあらず、魂を救わんとてなり。布教する事を許したまえ」。高札を許可され辻に立てる。2ヶ月の間に500人の信徒を得る。その多くは貴人であった。
肥前白石(平戸市)産まれの琵琶法師、了西もその一人であるが、後になり第一の大物と評価される了西も、それまでは、次のようであった。
「山口の町に、片目は全く見えず、片目が漸く見える盲人が居た。琵琶を弾いたり、巧みなおどけを演じたり、平家物語を語ったりして、わずかばかりの布施を貰い、生活を立てていた。彼は、これらの渡世事にも秀でてはいたが、その生き生きとした精神、豊かな知識、理解力、記憶力は抜群で、盲人仲間ではひときわ優れた偉物であった。」
彼の質問に対する神父の答えに、彼は満足できた。なお良く教理を勉強してから、彼は洗礼を受け、ロレンソの霊名を受けた。
ロレンソは日本的思考からキリスト教的思考に180度転換した模範的回心者の一人になる。6000人と言われるキリシタンを作った。なかには、結城、清原、高山氏らの大名を信仰に導いた。
キリシタン達の生活を律したもの、神の十戒と慈悲の所作14ヶ条。
しきしめ(色身)に当たる七つの事 
一つには餓えたるものに食を与える事
二つには渇したるものに物を飲まする事
三つには肌えを隠しかねたるものによろい(衣類)を与ゆる事
四つには病人をいたわり見舞ふ事
五つにはあいきょうな(行脚)のものに宿を貸す事
六つには捕らわれびとの身をお(請)くる事
七つには死骸を納る事、これなり
スペリテ(霊)に当たる七つの事
一つには人の(に)意見を加へる事 
二つには道なき(無知なる)ものに道を教へる事
三つには悲しみあるものなだむる事
四つには折檻すべきものに折檻をする事
五つには恥辱を勘弁いたす事
六つにはホロシマ(隣人)の不足をゆるす事
七つには生死の人と、又ありや(我らに)のち(仇)をなす者がためにデウスを頼み奉ること、これなり。
(1591年加津佐版(?)「ドチリナ・キリシタン」の暗誦より)
愛は、キリシタンの教えの本質であった。