〜 聖書にある預言 〜
預言は、新約聖書では、説教という意味で使われている箇所(ローマ12章6節等)と聖霊の賜物としての預言として使われている箇所(Tコリント14章等)があります。ここでは後者を扱います。
預言の定義:神の言葉を預かって話す、代弁する。聖霊が、クリスチャンに言葉を与え、その人を通して直接語る言葉。神の言葉である新旧約聖書という完成された啓示を越えることはない。
「使徒の働き」の中に次のような箇所があります。
2:16 これは、預言者ヨエルによって語られた事です。
2:17 『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。
2:18 その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。
2:19 また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは、血と火と立ち上る煙である。
2:20 主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。
2:21 しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。』
これはペンテコステで成就した預言です。ペテロをはじめとした弟子たちに聖霊が与えられ、満たされた彼らは異言を語り始めました。この時から聖霊時代が始まったと考えます。また、終末の時に入りました。この預言は成就した預言ですが、まだ成就していない部分もあります。ひとつの預言は複数のことを示すことがあります。ペンテコステにおいては血と火と立ち上る煙はありませんでした。「主の大いなる輝かしい日」とありますが、これは再臨を示すと思われます。ですから、これからのことと考えられます。預言者ヨエルは、主の再臨の前に預言の働きが起こると語っています。このことは興味深いことではないでしょうか。終末の時代において預言は特別な意味を持っています。
終末の時代は旧約の時代と違います。ヨエルが預言したように、皆が預言できます。預言は特別な人のものではありません。聖霊に満たされるならみな語ることができます。ただ、信仰に応じて預言するのです。
Tコリントでは
14:31 あなたがたは、みながかわるがわる預言できるのであって、すべての人が学ぶことができ、すべての人が勧めを受けることができるのです。
14:32 預言者たちの霊は預言者たちに服従するものなのです。
14:39 それゆえ、わたしの兄弟たち。預言することを熱心に求めなさい。異言を話すことも禁じてはいけません。
14:40 ただ、すべてのことを適切に、秩序をもって行ないなさい。
Tテサロニケでは
5:19 御霊を消してはなりません。
5:20 預言をないがしろにしてはいけません。
5:21 すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。
私たち現代のクリスチャンは、預言を積極的に行うことを求められています。
〜 旧約時代・新約時代における預言 〜
旧約時代において、神を信ずる人々の内でも聖霊は内住されておられませんでした。聖霊が内住されていたのは預言者や王などごく限られた人々でした。新約時代においてはイエス・キリストを信ずるすべての人々に聖霊が内住してくださっています。また、旧約時代においては聖書は完成されていませんでしたが、新約時代においては聖書が完成しています。
旧約時代においては真の預言者は間違いを赦されませんでした。
申命記
18:20 ただし、わたしが告げよと命じていないことを、不遜にもわたしの名によって告げたり、あるいは、ほかの神々の名によって告げたりする預言者があるなら、その預言者は死ななければならない。
しかし、新約時代においては間違った預言も許されています。
Tコリント
14:29 預言する者も、ふたりか三人が話し、ほかの者はそれを吟味しなさい。
旧約時代においては、預言する側の責任が強く言われていますが、新約時代においては、聞く者の吟味の責任が強調されています。新約時代の私たちには完成された啓示である新旧約聖書と内住されている聖霊さまによって語られた預言を吟味する責任があります。吟味の土台は聖書です。聖書から判断できないことがら(指示や予告預言)についてはさらに確認をとる必要があります。どんな有名な預言者の言葉も吟味なしに受け取ってはなりません。
〜 預言(指示や予告)の吟味のポイント 〜
1.聖書的かどうか
聖書に書かれていることがらに反していないか
2.他にも同様な示しが与えられているか
デボーションで御言葉が示されていたとか、夢や幻を通して示されていたなど
3.聖霊による平安があるか
目に見える状況と関係なく主からの平安があるか
4.祈りの中での確信
そのことを祈る中で確信が与えられるか
5.実際的な確証
(例)海外宣教であればお金が与えられているか等
6.教会の確認
その導きなどに関して属している教会の牧師も妥当だと判断されるか
7.経験によって訓練された霊的感覚(ヘブル5:14)から大丈夫といえるか
しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。
等を目安にすると判断に役立ちます。それでもよく分からないことは頭の隅に置いておいてはっきりするまで待つほうがよいようです。